御殿山から始まる歴史散策 ~ 御殿山今昔物語 ~ 第四回 「原美術館と原邸」(1)

御殿山から始まる歴史散策 ~ 御殿山今昔物語 ~ 第四回 「原美術館と原邸」(1)

御殿山トラストタワー14Fのトレーニングセンターから南の方角を望むと、まるで教会のような、ひときわ目立つ白亜の美しい建物が目に飛び込んできます。 この建物はいったいなんなのか。今回は、この美しい建物の歴史と、御殿山トラストシティの敷地にまつわる歴史をご紹介していきます。

意外にも歴史のある「レ」の字型

トレーニングセンター(14F)から南を望んだとき、目に飛び込んでくるのが下の写真の建物です。春先に撮影したこともあり、芝生の緑に建物の白さがとても映え、華麗で上品な、まるで教会のような佇まいが窺えます。
この上品でモダンな建物の正体はいったいなんでしょうか?

トレーニングセンターより筆者撮影

その答えは、「原美術館」です。

現代美術の原美術館

原美術館は、昭和54年(1979年)に、館長の原俊夫氏が、財団法人アルカンシェール美術財団を母体として開館した、現代美術の専門館です。館内にはA・ウォーホール、ジャン=ピエール・レイノー、ソフィ・カル、草間彌生、横尾忠則、須田悦弘、束芋など850点を超える国内外の作品が展示されています。

また、「カフェダール」というカフェも併設されており、芸術鑑賞の合間に、広いお庭に面したオープンテラスで、ゆっくりとティータイムを楽しむことができます。また、個人賛助会員になれば、ここで結婚式を挙げることもできるようです。

普段は17時に閉館となってしまいますが、水曜日であれば20時まで開館していますので、トレーニングが終わった後でも、ゆっくりと立ち寄ることができます。

詳しくは、原美術館のHP をご覧ください。
なお、関連リンクはすべてコラムの末尾にまとめてあります。

上:しながわ観光協会 下:筆者撮影

80年前から佇む「レ」の字型の建物

さて、この白亜の建物。上の写真からでもうっすらとわかりますが、実は 「レ」の字型 をしています。しかも「レ」の跳ねの部分は直線ではなく曲線になっています。
下の写真は、Yahoo地図の航空写真です。

左:Yahoo地図 右:Mapfan

この斬新なデザイン。さぞや新進気鋭のデザイナーによって、最近建てられた、現代建築だろうと思われるかもしれませんが、実は意外にもその歴史は古いんです。

建設されたのは、昭和13年(1938年)。つまり、今から80年近くも前に建てられた建物なのです。

昭和13年といえば、日本では国家総動員法が施行された年です。また世界に目を向ければ、この翌年、ヒトラーがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発しています。世界的な規模で、戦争の匂いが色濃く漂っていた時代です。

下の右の写真は、昭和22年(1947年)の航空写真です。
建てられてからすでに10年近くたったころの写真ですが、それでも今から69年前の写真です。そこにもちゃんと「レ」の字型が存在します。

左:Yahoo地図 右:goo地図

建築家・渡部仁

この建物を設計したのは、建築家・渡辺仁(わたなべじん)(1887~1973年)です。
渡辺仁は、大正から昭和初期にかけて活躍した建築家で、さまざまな様式を自在に使いこなす、フレキシブルな建築家でした。
彼の手掛けた建築物は、この原美術館以外にも数多くのものが現存しています。
以下は、現存する作品の一例です。

  • ホテルニューグランド本館(横浜)
  • 銀座和光本館(旧服部時計店)
  • 八ヶ岳高原ヒュッテ(旧徳川義親邸)(目白から長野県南佐久郡へ移築)
  • 愛知県庁本庁舎(名古屋)
  • 第一生命本館(日比谷)
  • 東京国立博物館(上野)

①③⑥:Wikipedia ④:愛知県庁HP ②⑤:筆者撮影

ちなみに、八ヶ岳高原ヒュッテは、山田太一原作・脚本のTBSドラマ「高原へいらっしゃい」(1976年版 出演:田宮次郎、由美かおるほか、2003年版 出演:佐藤浩市、井川遥、堀内健ほか)の舞台となったホテルです。もともとは徳川義親邸として目白にあったものを移築しました。

さて、話を 原美術館 に戻します。

原美術館の建物の辿った歴史

80年近くの歴史をもつこの建物ですが、昭和54年(1979年)に美術館として開館してからは、まだ40年しかたっていません。
原美術館として開館する以前の40年間は、どんな用途で使われていたのでしょうか?
ここから先は、この建物の歴史をご紹介します。

この建物、もともとは、原美術館・館長の原俊夫氏の祖父・原邦造(くにぞう)が、自身の邸宅として建てたものでした。原邦造は、大正・昭和中期に掛けて活躍した大実業家です。

そして、更に歴史を遡れば、原美術館および御殿山トラストシティ(※)、品川教会を含めた一帯の広大な敷地は、原邦造の父であり、明治期の大実業家であった原六郎の大邸宅があった土地でした。

※御殿山トラストシティは、御殿山トラストタワー、御殿山トラストコート、東京マリオットホテル、御殿山庭園から構成されています。竣工(平成2年(1990年))当時の名称は、「御殿山ヒルズ」でした。

①但馬の百科事典 ②国立国会図書館デジタルコレクション

筆者作成

建物の主、原六郎

前述のように、原美術館、御殿山トラストシティ、品川教会までの広大な敷地を最初に所有していたのは、原六郎 です。六郎は、西郷隆盛の弟・西郷従道(じゅうどう)からこの土地を明治25年(1892年)に譲り受けます。(※1)

その面積は、筆者の推定によると、おおよそ11,000坪です(南北:約260m、東西:約170m)。ちなみに、東京ドームは約14,000坪です。

下掲、左上の地図は、昭和5年(1930年)頃のものです。(※2)
「レ」の字型の建物はまだ建設されていませんが、しっかりと「原邸」と記載されています。

左上:国際日本文化研究センター 左下:品川区HP 右上・右下:MapFan

右上の地図は現代のものです。赤枠内が筆者の推定する当時の原邸の敷地です。推定としているは、正確な境界線の情報を持ち合わせていないからです。なので、西側のへこみ部分はもう少し小さいかもしれません。
左下は、昭和33年(1968年)の原邸の航空写真です。

※1:それ以前、六郎は横浜の野毛に邸宅を構えていました。
※2:昭和5年の地図で、原邸の北にある「岩崎邸」は、三菱創業家の岩崎家のことです。現在、三菱開東閣。また、原邸の南にある「益田邸」は、三井物産の創業に関わった益田孝の邸です。現在、ミャンマー大使館、御殿山ハウス。

続きは次回に

さて、ここから先は、原六郎の経歴などをご紹介したいところですが、少々話が長くなってしまいそうなので、続きは次回となります。

次回以降、複数回にわたって、「原六郎の経歴」「原邦造の経歴」「原美術館・開館前の歴史」、そして、「御殿山庭園と幕末の歴史的大事件とのかかわり」についてご紹介していきます。ご期待ください。

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