御殿山今昔物語 第二十九回「吉川英治と煙突と」(4)

御殿山今昔物語 第二十九回「吉川英治と煙突と」(4)

小説家・吉川英治が、その随筆『煙突と机とぼくの青春など』に記している、御殿山の自宅の書斎から見えるという製菓会社の煙突は、はたして東洋製菓の煙突だったのか。そして、東洋製菓とは、そもそもどんな会社だったのか。

これまで3回にわたって探求してきたこのテーマも、今回が最終回となります。そしてついに、今回、煙突の ”場所” が明らかになります。

なお、この記事は、御殿山今昔物語の連載を始めたばかりの2016年に執筆したものです。今回の掲載にあたり、一部、加筆、修正してあります。

煙突はどこにあったのか

前回までの調査によって、吉川英治の随筆『煙突と机とぼくの青春など』に出てくる製菓会社が、ほぼ間違いなく東洋製菓であることが判明しています。もう一方の候補であった森永製菓の工場は、大正時代にすでに御殿山から撤退していましたし、また、『木村屋總本店百二十年史』『パンの明治百年史』『品川区史』のいずれの本にも、東洋製菓の工場が御殿山にあったことが明記しているからです。

❑ 『煙突と机とぼくの青春など』の抜粋 (「吉川英治と煙突と」(1))
❑ 随筆の原文(青空文庫吉川英治「折々の記」)

さて問題は、工場と煙突が御殿山のどこにあったのか、ということです。ひとくちに御殿山といっても、それなりに広さがありますし、また吉川英治邸の書斎から見える範囲にも限界があります。

そこでまず、地元の方々に直接聞いてみることにしました。といっても、見ず知らずのご家庭を突然訪問することはできませんので、北品川本通り商店街(江戸時代の東海道・品川宿)のしながわ観光協会案内所に詰めていた地元の方々にお話しをお聞きすることにしました。

ですが・・・・

みなさんお若かったせいか、残念ながら、東洋製菓をご存知の方はいらっしゃいませんでした。

ということで、別な方法での探求です。

まずは東洋製菓の工場の住所が載っている資料を探すことにしました。すると、前回の記事でご紹介した、大正7年(1918)に出された東洋製菓の広告に、住所が記載されていることに気がつきました。

住所は「東京都荏原郡品川町北品川宿746番地」です。

また大正13年(1924)に東京府が出版した「職工ノ福利増進施設概要」という本にも、広告と全く同じ住所が記載されていました。

そこで次に、同じ年代の地図を探すことにしました。

すると、番地が記載されている大正14年(1925)の地図を、ネットで見つけることができました。

この地図には「大字北品川745番地」が記されています。工場の住所は「746番地」ですので、その隣のはずです。

下が大正14年(1925)の地図です。(ちなみに、番地が載っている地図を見つけるのはけっこう大変でした。)

「北品川宿745番地」は、目黒川にかかる居木橋(いるきばし)の北詰です。

これを現在の地図に当てはめてみると、ちょうど神戸製鋼所東京本社のONビル、およびその南にある大崎MTビルということになります。

地図:MapFan

大正時代の番地によれば、この神戸製鋼のONビルこそ、工場があった場所で間違いないはずです。

ですが、番地からの推測だけでは、いまいち確信がもてません。

なにかもう少し頼りになる情報はないものか、と考えていると・・・

頭の中に、以前読んだことがある「品川宿遊里三代」(秋谷勝三著、青蛙選書、1983年)という本の中の一節が浮かんできました。曰く、「御殿山の向こう側にあった東洋製菓の工場」。

著者の秋谷勝三氏は、明治末期から大正期にかけて、品川宿の貸し座敷「山幸楼」の当主だった方です。ちなみに、勝三というお名前は、明治期の実業家で、御殿山に邸を構えていた西村勝三にあやかって名付けられたそうです。本には、秋谷氏の思い出話がたくさん綴られています。

なお、西村勝三については、以前この連載でご紹介したことがあります。(「西村勝三」(前編))

さらに言うと、実は吉川英治邸は、その西村勝三の邸の跡地に建っています。

話を戻します。秋谷勝三氏の貸座敷「山幸楼」があった品川宿(現・北品川本通り商店街)にとって、神戸製鋼のONビルは、確かに「御殿山の向こう側」という表現にぴったりです。

下は、品川区統合型地図情報提供サービスというサイトにある「区内標高図」の一部です。品川宿から見ると、東洋製菓の比定地、つまり、神戸製鋼ONビルはまさに「御殿山の向こう側」です。

❑ 品川区統合型地図情報提供サービス区内標高検索システム

これでちょっとだけ自信が沸いてきたのですが、まだ確信がもてません。決定打が欲しいところです。

読者のみなさんなら「東洋製菓の工場が明記されている地図を探せばよいではないか」と思われるかもしれません。確かにその通りなのですが・・・

ネットで古い地図を見つけることは、それほど難しくはありません(2016年当時よりも今はさらに探しやすくなっています。)。ですが、見つけた地図の中に民間施設まで記載されているか?となると、実はかなり厳しくなってきます。

ということで、再び、前回の記事でご登場いただいた品川図書館の司書Iさんのご登場です。

Iさんは、そんな筆者に大正年間に作成された御殿山周辺の地図をみせてくれました。(地図の正確な作成年は不明とのこと。)

そこにはなんと、筆者が比定したまさにその場所に「東洋製菓會社(工)」とばっちり記されているではありませんか!
下がその地図です。

東洋製菓の工場は、吉川英治邸のまさに目と鼻の先です。

しかも、吉川英治邸は御殿山という高台の上にあり、工場は御殿山の麓にありますので、書斎から見える煙突は、まさに目の前に差し迫った感じで見えていたのではないでしょうか。両地点の標高差は15mちかくあります。

これで、吉川英治が書斎から見ていた製菓工場の煙突は東洋製菓の煙突だった!

と、断言できると思ったのですが・・・・

よくよく考えたら、最後の可能性が残っていました。

「確かに大正年間にはこの場所に東洋製菓の工場はあったかもしれない。でも、吉川英治が御殿山に住んでいた昭和28~32年(1953~1957)には、工場はなくなっていたかもしれない。」という可能性です。

ここまでくると筆者は、図書館司書のIさんにまかせっきりです。再びIさんにご登場願います。

昭和33年の地図を発見

Iさんは、切り札として昭和33年(1958)の地図をみせてくれました。

そして、そこにはちゃんと東洋製菓の工場が記されているではありませんか!

「金子邸」とは、初代小樽市長を務めた金子元三郎の邸宅のことです。

吉川英治が御殿山に住んでいたのは昭和32年(1957)までです。

ということは、吉川英治と東洋製菓は、御殿山という地で、確実に同じ時間と空間を共有していたことになります。

今度こそ、自信をもって断言できます。

吉川英治が書斎から見ていた製菓工場の煙突は、まちがいなく東洋製菓の煙突です!

ちなみに、Iさんから見せてもらった昭和35年(1960)の別な地図には、工場と同じ場所に「小野田レミコン品川工場」と記されていました。

ということは、おそらく、東洋製菓は、昭和34年(1959)頃に、会社としての幕を下ろしたものと思われます。(ただし、地図に記載されている情報と、地図の出版年との間にズレが生じる場合があります。たとえば、出版されたときには、もうすでに施設がなくなっていた、などです。)

下の写真は、JTP本社14Fのトレーニングセンターから工場の跡地を撮影したものです。前述のとおり、現在は、神戸製鋼所東京本社のあるONビルとなっています。

筆者撮影

上の写真では、工場と吉川英治邸の間にそこそこの距離がありそうに見えますが、肉眼だとかなり近く見えます。

また、下の写真はONビル周辺のものです。残念ながら、東洋製菓の痕跡を窺い知るようなものは見当たりませんでした。

筆者撮影

ちなみに、東洋製菓の工場跡地にできた小野田レミコンの工場は、昭和62、63年(1987、88)頃まで、この地に存在していたようです。その後の平成2年(1990)、ONビルが建てられました。

現在、ONビルの住居表示は「北品川5丁目9番12号」となっています。しかし、ビルの所有者である森トラスト総合リート投資法人のHPによると、この地の正確な所在地(登記簿上の所在地?)は今でも「北品川5丁目746番地」だそうです。

❑ 資産の取得(契約締結)に関するお知らせ(ONビル)(森トラスト総合リート投資法人)

煙突の写真はないか?

さて、ここまでくると欲が出てきます。

その欲とは、どこかに煙突の写真はないか?煙突の写真を見てみたい!という欲です。

そんなことを考えながら、前出の昭和33年の地図を眺めていると、ふと、あることに気がつきました。

この地図と同じ構図の地図をどこかで見たことがある!

そう、同じ構図の地図とは前々回の記事でご紹介した下の地図です。

①吉川英治邸②JTP本社(MapFan)

この地図は、「しながわWeb写真館」というサイトに掲載されている、昭和28年(1953)撮影の「旧庁舎から見た北品川の風景」という写真のアングルを解説するときにきに使ったものです。下のリンクがその写真です。なお、「旧庁舎」とは、旧品川区役所のことです。

「旧庁舎から見た北品川の風景」(昭和28年(1953))

この地図の構図、つまり写真のアングルは、昭和33年の地図とほぼ一致します。しかも、前々回の記事で、この地図とともにGoogleEarthを使って写真を再現した画像の中に、ちゃんと神戸製鋼ONビルが映りこんでいます。

「旧庁舎から見た北品川の風景」の再現(GoogleEarth)

ということは、先ほどご紹介した写真「旧庁舎から見た北品川の風景」(昭和28年(1953))の中に東洋製菓の煙突が写っていることになります!

著作権の関係で写真を直に載せることはできませんが、写真の中央に、細々と見える2本の煙突。おそらくそのどちらかが、東洋製菓の煙突、吉川英治がその書斎から見ていた煙突だと思われます。(吉川英治が御殿山に住んでいたのは、昭和28~32年(1953~57)です。)

「旧庁舎から見た北品川の風景」のスケッチ(筆者作成)

【2020年追記】
写真に写る2本の煙突のうち、はたしてどちらが東洋製菓の煙突なのか。執筆当時(2016年)は、そこまで突き止めることができませんでしたが、後になって入手した大正6年(1917)と大正15年(1926)の地図をみると、工場内にはそもそも複数の煙突があったようです。従って、2本とも東洋製菓の煙突である可能が高いです。

写真が撮影された昭和28年当時、工場内の機械の動力源が電力だったかどうかは不明ですが、仮に石炭を燃料とした蒸気機関だったとすると、当然、工場内には複数の煙突が存在していたはずです。連載4回目の今になって、やっとそのことに気がつきました。前々回の記事で「そもそも製菓工場に煙突はあるのか?」という疑問を呈しましたが、その疑問自体がナンセンスでした。

昭和33年の航空写真

品川区のHPをいろいろと探ってみると、たくさんの情報を得ることができます。

その中で重宝しているのが統合型地図情報提供サービスの中にある「昭和33年航空写真」です。

Yahooなどでも、古い航空写真を見ることができますが、品川区のそれは、さまざまな機能が搭載されていて、面白いです。

❑ 品川区統合型地図情報提供サービス「昭和33年航空写真」

記事の最後に、このサイトの画像をご紹介します。

1枚目の写真は、旧品川区庁舎と東洋製菓の両方を含めた写真です。
2枚目の写真は、東洋製菓の工場だけを切り取ったものです。

白黒なのではっきりとはしませんが、おそらく2枚目の写真の中央で、白くぼやけている部分が、煙突から吹き出ている煙ではなかと思われます。影から判断すると、太くて大きい煙突だったようです。(この写真では煙突は1本だけのようです。)

このサイトには、2地点間の距離を計測する機能が搭載されています。それを使うと、吉川英治邸から煙突までの距離は200m弱でした。

先にも書きましたが、吉川邸は御殿山の高台にあり、工場は御殿山の麓にあります。しかも吉川邸は、南に向かって真正面に煙突と対峙するように建っていますので、2階の書斎からは、本当に間近に、大きく、差し迫って煙突がみえたのではないでしょうか。

工場跡地の上空から吉川英治邸を望んだときの景色(GoogleEarth)

最後に

4回に渡って連載してきた『吉川英治が書斎から見ていた製菓会社の煙突はどこにあったのか』という探求の旅は、以上をもちまして全て終了です。

毎度のことながら、筆者一人だけが楽しんだ、独りよがりのテーマだったかもしれませんが、すくなくとも筆者としては大満足な旅でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

追記1:「品川産業事始」(品川歴史館出版)

実はこの記事を書き上げた数か月後(2016年11月頃)に、品川歴史館から「品川産業事始 日本を支えた近代産業群」という本が出版されています。その中で、東洋製菓のことが取り上げられています。

気になる東洋製菓の所在地ですが、本には「現在の北品川5丁目20番地付近」と書かれており、工場の敷地が現在のONビルと重なっている地図が示されています。

本には他に、明治後期から大正時代にかけての工場の外観や内部の写真、広告チラシなどが掲載されています。外観写真には煙突が5~6本映っています。

掲載されているほぼすべての写真に「個人蔵」の注釈がついていますので、やはり、東洋製菓を扱った公の資料はほとんどないのだろと、思われます。

東洋製菓・・・本当に謎多き会社です。

追記2:「文化財に住むということ」(現代ビジネス)

「現代ビジネス」というサイトに、吉川英治邸に現在お住まいになっている方のインタビュー記事が載っていましたので、リンクをご紹介しておきます。

❑ 現代ビジネス(週刊現代2019.6.22・29合併号より)

 

【サムネイルの出典】
❑ 杉並区立図書館(吉川英治の写真)
❑ 森トラスト総合リート投資法人(ONビルの写真)

 

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